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オリジナルが足りない

例えば、コピーのコピーを作るような感じ。原液を薄めて飲むカルピスのようなジュースにどんどん水を足して行く感じ。何でもかんでも「オシャレ」とか「カワイイ」の一言で、表面的にそれと見える汎用品が氾濫して行く感じ。私が最近よく思う「オリジナルが足りない」というのは、そういう感じです。この対極にあるのが、「あかんもんはあかん」とか「(ようわからんけど)あいつはすごい」とかそういうことです。こっちは意味不明ですね(笑)。

話を続けます。原体験みたいなものを「オリジナル」とすると、それは民族の記憶とか歴史の刻印とかそんな位のインパクトのあるものです。例えば明治維新、太平洋戦争、フランス革命。あるいは、風土、宗教、言葉とか自分を取り巻く環境のことや、バブル、貧困、離婚、破産等生活の急激な変化など。これにひっつく感覚と言うのは「強く」なる。それがどんなに理不尽でも不自然でも、自分の中にしっかりと根を下ろした軸になる。

それはやる方もやられる方も、命を賭けてしまう結果になるから。再度つまらない例になりますが、今考えると私の子供の時はテレビばかり見てた気がする。歌がわかるのです。懐かしのTVアニメや歌謡曲とかで映し出されるほとんど全ての歌を知っている。ストーリーもキャラクターの名前も知ってる。うちの子供が嬉々として昔のアニメは面白いと言う。主題歌のCDを買ったりする。でもそこに歌はあっても「生活」はないのですね。

単体でも歌は素晴らしい。でも私達の世代には当時の生活が「オリジナル」としてくっついている。だから曲解しない。良く言えばオリジナルのない世代は自由だ。罪の意識なく発想を飛ばせる。ただ本来オリジナルが求めた幸せには辿りつけない。オリジナルがない幸せは弱い。それは歴史と切り離されたファッションだから。それでも人間が進歩しているのなら、歴史に根付く私達の理性が、「幸せ」なオリジナルを創造していかねばね。

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