一燈園の生活

京都東山、山科のびわこ疏水沿いにある一燈園を、本日縁あって見学させていただく機会を得ました。桜の花はつぼみのままでも、春への期待が大きく膨らみます。清掃が隅々まで行き届いた園内は、少し張りつめた空気感がとても心地よく、自然と人が調和する美しさを、自ずと感じることができます。相大二郎学園長の案内で、学園生活を学ばせて頂きました。

最初に、食堂(じきどう)に通されました。そこには↑「黙」の文字が入った札が。板の間に正座で、小学生から高校生までが、「黙」って食事を摂るそうです。これは食材と「語る」ためなのです。友達とは他の時間に語れる。食事の時間は、殺生された生き物のお蔭で、自らの体があることへの想いを深める。だから目の前の食材と語る時間なのだと。納得できます。

次に、礼堂で座りました。一燈園は特定の宗教ではないのですが、神社風と禅寺風の折衷したような礼堂があります。そこで毎朝、正座し瞑想するのです。いのちのこと、心のこと、友のこと、家族のこと、季節のこと。何でもいいのだそうで、でも実際に子供がごく自然に、ピシッと膝を揃えて合掌している様を見ると、それだけでお地蔵さまのような佇まいだと感じます。

時間にして約15分。そんなに長くはありません。けれど自然に囲まれたお堂の中で、春夏秋冬毎朝決まった時間に、静寂の時間に身を沈め心を置く。このことが子供の心に、どれほど良い影響を与えるだろうと思いが広がります。もちろん、毎朝授業の前に教室やトイレが、先生生徒全員で丹精込めて清掃されます。子供は結構、静寂の時が「好き」なのだそうです。

一緒に見学した中に、学校の先生がいらっしゃいました。その先生は、自分の学校にどうしても掃除をしない生徒がいるが、この学園の生徒のようにするにはどうすればいいか、という質問をされました。難しいですよね。自分はやり続けましょうということなのですが、私達はまず自分がこの「先生」の方なのか、既に「やらない生徒」の方なのか、自問してみましょう。
