書くこと 書けること
文章には、内容と構成という二つの要素があります。どちらが大事だというと、もちろん「内容」だと思います。内容がない文章というのは、つまり書く必然性がないということです。どんなものであれ文章というものは、それを書く人一人の視点で、感情なり事実なり物語を描写します。だから「書く」という行為に至る臨界点まで、書き手の想いが膨らんでないと書けない。
書く「必然性」と言うのは、「事実」に加えてその上に、書き手の「感動」がどうしてもいるのだと思います。そのためには、その事実と自分(書き手)の間に、何らかの関係性がなくてはならない。事実との関係性を作るために一番良いのは、書き手が「体験」することです。良い書き手は、どんどん未知の体験に己の身を置き、そこで純粋な感動を得自分を再生成します。
ですから、人が見てあんなに素晴らしい体験をしてるのに…と思っても、当の本人が「傍観者」なら、どんなに素晴らしい体験も、良い文章にすることはできない。逆に、例えば読書という行為も、主体的に関わっていく「体験」であるなら、それは単に「読む」という行為を越えて、文章世界の住人との対話や物語の共有を体験した感動を、言の葉に上らせることができる。
創造するためには、まず「想像」する力が必要です。このイマジネーションの方の「想像」が、私は最近特に大切だと思っています。物語や芸術や好奇心や夢。これらにはそれを表現するに至る、臨界点を越えさせる「感動」が必ずあります。書けることがいつもあることは、幸せなんじゃないか。幸せはイマジネーションとも関係があるんじゃないか。そんなこと考えます。
