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社員ブログ

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小鳥 晃稚(滋賀営業所 営業部)

[ PROFILE ]
こんにちは、滋賀営業所のオードリー事(おどり あきのり)です。滋賀大好き、真夏大好き、自然大好きな入社2年目、24歳。小鳥は岐阜の高山にある地名から来ている様です。趣味は魚釣り、昆虫採集・養殖、スポーツ観戦、映画鑑賞、寝る事です。 今年から本格的にお客様を持たせて頂き、獅子奮闘の営業を日々楽しんで働いております。まだまだ半人前の営業マン。日々勉強させていただき、成長し続けると言うキーワードを大切にし、初心を忘れず奮闘致します。皆様、よろしくお願いいたします。

2009年06月
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2009年06月17日

THE BOOM 島唄

THE BOOMの島唄!沖縄を代表する唄の一つです。
夏といえば島唄と言う印象をお持ちの方もおられるかと思います。
そんな島唄には戦争で傷ついた沖縄を歌い、平和を望む魂歌でもあるんですね~

初めて歌の意味を知りました・・・・・・

島唄     作詞 宮沢和史
でいごの花が咲き                災厄を告げるというでいごの花が咲き、
風を呼び 嵐が来た               (1945.4.1)沖縄本島に米軍が上陸した
でいごが咲き乱れ                でいごが咲き乱れる1945.4-6月に、
風を呼び 嵐が来た               (1945.4.1)沖縄本島に米軍が上陸した
繰りかへす哀しみは 島わたる 波のよう  寄せ引く波の様に、殺戮は繰り返された
ウージぬ森で あなたと出会い        サトウキビ畑であなたと出会い
ウージぬ下で 千代にさよなら     (ガマ)鍾乳穴の防空壕で君が代にいう永久の御代の別れ
島唄よ 風にのり                島唄よ 風にのり
鳥と共に 海を渡れ              死人との魂と共に 海を渡れ
島唄よ 風にの                島唄よ 風にのり  
届けておくれ わたしぬ涙          本土に伝えておくれ、沖縄の悲哀を
島唄よ 風に乗り               島唄よ 風に乗り
届けておくれ 私の愛を           届けておくれ 私の愛を
海よ 宇宙よ 神よ いのちよ       海よ 宇宙よ 神よ いのちよ
このまま永遠に夕凪を            このまま永遠に夕凪を

本当に悲しくなります。戦争の惨さ、悲しさを・・・・・・
そんな時代に生きてなかったけど、決して忘れてはいけない思いだと感じました。

教えてくれた院長先生!
改めて、戦争の意味、平和の意味を考えなければならないですね。

投稿者 admin : 19:21 | コメント (0) | トラックバック (0)
2009年06月15日

マテリアル

先日、三菱マテリアル様の研修に行って参りました。
今回は、ステップ1と言う事で、内容は、エンドミル、ドリル、インサートが主な内容でして、基本をしっかりと学んで参りました。

内容は、分かりやすく、親身に質問などに答えて頂きました。

入社1年目の新入社員対象だったのですが、新人の方々のフレッシュな気持ちになり、学ぶことが出来ました。
正直、今まであやふやだった知識が、この研修で整理でき、理解できた事が最大の収穫でした。また、同業他社の新人の方々と共に勉強できた事が自分にとって、プラスになり、良い意味での刺激になりました。

この研修でお世話になった三菱マテリアルの講師の方々、参加させてくださった上司の方々、不在の間フォローしてくださった方々、ありがとうございました。

投稿者 admin : 12:25 | コメント (0) | トラックバック (0)
2009年06月02日

藤堂高虎(トウドウタカトラ)


三人目の戦国武将は藤堂高虎をお送りいたします。

現在、放映中のNHK大河ドラマ「天地人」の直江兼続と同世代で戦国時代を生きた男です。

彼の功績などを取り上げた小説や著書は、数多くあり紹介し易い人物です。常に変化する時代に順応し、明治まで大名藩として存続し続け、礎となった人物です。

藤堂高虎は、近江の国(現在の滋賀県甲良町)で生まれた近江出身の武将です。

父、藤堂虎高は、浅井家の家臣で地域を守護していた土豪であった。幼い頃は喧嘩が強く、成人男性と比べ物にならないぐらいの強力の持ち主で、高虎13歳の時に領内の争い事で罪人を討ち取った逸話なども残っている。当時の平均身長約160cmの時代に身長6尺2寸約190cmを超える大男であった。

元服後は、浅井長政に仕え、常日頃喧嘩早く、気の短かった高虎は、姉川の戦いで武功を挙げ、長政から「感状」(表彰状)を受けている。その後は、浅井家の家臣阿閉貞征に仕えた。織田信長によって浅井家が滅ぶと丹羽軍に包囲され、佐和山城に籠城していた浅井家旧家臣磯野員昌を頼り、仕官するも磯野員昌が約2年で降参した為その後、浪人となり諸国を放浪した挙句、敵方の織田信澄(織田信長の弟信勝の子)に仕えた。

しかし、仕官も長続きせず、羽柴秀吉の弟、羽柴秀長に仕え3000石の所領で迎えられた。

その際に、今まで仕えてきた武将名前の入った「感状」(表彰状兼、履歴書)を見せ自分の地位を確立していた。秀長の下で活躍を見せ、中国征伐や賤ヶ岳の戦いなどで功績を挙げ。2000石を加増。のちに秀吉から5000石を加増され、1万石の大名となる。天正15年(1587年)の九州征伐では根白坂の戦いで島津軍に攻められた味方を救援する活躍を見せて2万石に加増される。この頃、秀吉の推挙を受け、正五位下佐渡守(戦国大名の肩書き)を叙任する。

その後、秀長が死去すると、養子の豊臣秀保に仕え、秀保の代理として文禄の役に出征する。

文禄4年(1595年)に秀保が早世したため、出家し高野山で僧となるものも、豊臣秀吉が召還し、5万石を加増され、伊予板島(現在の宇和島)7万石の大名となる。

慶長の役にも従軍し、水軍を率いて漆川梁海戦では、朝鮮水軍の武将・元均率いる水軍を殲滅するという武功を挙げ、帰国後に加増されて8万石となる。この時期に板島丸串城の大規模な改修を行い、完成後に宇和島城と改称している。

(1598年)秀吉死去後、豊臣家臣団が武闘派、文官派に分裂し、豊臣秀頼(石田三成)と徳川家康の対立が激化すると、高虎は武闘派の諸将を取り込み、徳川家康側に組みした。               

慶長5年(1600年)上杉景勝が家康(東軍)に対して挙兵すると、高虎は会津征伐に軍勢を率いて従軍。そして、石田三成(西軍)が挙兵すると、高虎は家康の東軍に従って織田秀信(三法師)が守る岐阜城攻めに参戦し、9月15日の関ヶ原の戦いにも参加。大谷吉継隊と死闘を演じた。戦後、小早川秀秋らと共に、西軍から東軍に寝返った脇坂安治、小川祐忠、朽木元綱、赤座直保らの調略に貢献したことにより家康から伊予今治20万石に加増移封されている。

その後、高虎は徳川家の重臣として仕え、築城技術に功績を挙げた。戦闘部隊集団の高虎は、時代に順応して、戦闘家から建築家へと能力を付け、地選、縄張り、普請、作事の全てに通していた高虎は、駿府城、名古屋城、宇和島城を普請。最大の普請が江戸城である。現存している江戸城の本丸の石垣は見事であり、当時の技術の高さを物語っている。

こうした功績から、慶長13年(1608年)に伊賀一国、並びに伊勢8郡22万石に加増移封され、伊勢津藩主となる。家康は高虎の才と忠義、建築術を高く評価し、外様大名でありながら譜代大名格(別格譜代)として重用した。 

慶長19年(1614年)の大坂冬の陣では徳川方として参加する。翌年の大坂夏の陣でも徳川方として参戦し、自ら河内方面の先鋒を志願して、八尾において豊臣方の長宗我部盛親隊と戦う(八尾の戦い)。この戦いでは長宗我部軍の猛攻にあって、藤堂良勝や藤堂高刑をはじめ、600人余りの死傷者を出している。戦後、その功績により32万石に加増され、同年閏6月には従四位下に昇任した。

(1616年)家康死去後は息子の徳川秀忠に仕えた。

晩年には眼病を患って失明したといわれている。

寛永7年(1630年)10月5日に死去。享年75であった。

高虎は、戦(いくさ)が無くなり、平和になって行く時代の流れに、生き残る為に能力を付けた築城術は常に人間成長して行く大切さを教えられた気がします。

このブログで、三人の戦国武将を取り上げ、語らせて頂きましたが、共通して言える事は、戦国時代と言う時代をただひたすらに三人は、一生懸命自分を信じ生き抜いた事。そして、時代に順応して生きた事。

常に戦(いくさ)在る所で、現場主義を貫き主君を持たずに自身の能力だけを信じ生きた可児才蔵(カニサイゾウ)。

戦国の世。一途に主君(徳川家康)を思い、一途に戦で尽くした本多忠勝(ホンダタダカツ)。

時代の変化に合わせて、武人(戦人)→僧侶→文人(築城術)へと自身の能力を高め、時代に順応した藤堂高虎(トウドウタカトラ)。


この三人の生き方は、現代でも通じる生き方ではないだろうか?


投稿者 admin : 19:10 | コメント (0) | トラックバック (0)
2009年04月24日

リクルート

先日の金曜日は、2回目の拙いプレゼンをさせて頂きました。

1回目のプレゼンは、言いたい事をきちっとまとめ、文章もすらすら言えたのですが、
2回目のプレゼンでは、言いたい事が、次から次へとあふれ出し、頭の中を整理出来ず、本当に拙いプレゼン発表になってしまいました。

自分もこの会社へは、マイナビさんのほうへ登録して、説明会から面接へと進み。内定を頂き、入社して、1年が経ちます。

2年前、就職活動でこの三共精機と出会い。

改めて、自分の就職活動を思い出すと、あの時は、積極的に且つ行動的に、約150社の会社の方々とお会い出来、自分の進むべき道をじっくりと向き合え、自分と言う人間を真正面に自分なり分析できた時期だと思います。

今しか出来ない、新卒での就職活動。

どんどん積極的に、土足で会社の中に入り込み、色々な会社の情報、色んな考えの社員さんとの懇談などを活用して、就職と言う関門を突破し、その会社で何がしたいのか?などを常に考え、積極的に行動して、トライして下さい。

現在、就職活動をされている皆様!一緒に仕事が出来る時を待てます。

頑張ってください!!

投稿者 admin : 18:31 | コメント (0) | トラックバック (0)
2009年04月24日

モデルフォレスト


先日の土曜日にモデルフォレスト参加しました。

一年前、入社する前に、植樹活動へ参加。頼りなかった樹達は、根を張り、葉を付け、しっかりと周りの環境に馴染んでいました。

今回行った活動は、「枝打ち&間伐」でした。

はじめ、「木を倒すのは、余裕、余裕」と見くびってました。

枝打ち作業は、届く範囲の枝は、一人で落としました。

直径20cm程の一本の木を間伐したのですが、素人の私一人で倒すと半日はかかる自信があります。で!そんな時間はないなど安全上の問題で、皆で協力して倒しました。

やはり、皆で協力して、一つの作業を行う。本当に清々しい思いでした。

次回はBBQと言う事で、次回も参加したいです。


投稿者 admin : 18:28 | コメント (0) | トラックバック (0)