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余裕とは、曖昧さを許容すること?(『新・ローマ帝国衰亡史 』(岩波新書)より)

歴史が苦手だ。
というのは固有名詞が頭に中々入ってこない感じがして、読んでも読んでも「これはどこ?」「これはだれ?」ってなって、混乱するからかもしれない。
この苦手意識をどうにかしたい。
それには、やはり歴史の本なるものを、読めなくても読む必要がある。

歴史はストーリーが理解できると頭に入りやすい。
歴史の発展は「人口の増加」にあるととらえれば、歴史事象を「人口増加のためになにがあったか」という文脈で読み解いていけばよい、というように。

 そんなわけで、今回手に取ったのは『新・ローマ帝国衰亡史』(岩波新書 南川高志)。
高校の頃は世界史を取っていたし、何より古代は何かと勉強していたから読めるのではないかと思ったのだ。
たしか、ローマ帝国は「ゲルマン民族の大移動」で帝国内に異民族がたくさん流入して、そのせいで国内が混乱して滅んだのだっけ?
そんな緩い理解を前提にページをめくると、そんな単純な話ではない、と著者が一喝していた。
ごめんなさい・・・。

 

この本のポイントを自分なりにまとめると、以下のようになった。

 ・帝国領域の曖昧さが、存続に貢献していた。

・ローマの支配領域においてローマ人は多種多様な人員で溢れていたが、彼らは「私がローマ人である」という意識を持ち得たことが、帝国の存続に繋がっていた。この意識は生活様式を共にし、文化に親しみ、ローマ帝国の一員であることに誇りを持てるということだ。

・ローマ帝国の滅亡は、すなわち領域内の人々が「ローマ人である」という意識を「分け隔てなく」持てなくなったことから始まった。

・人体の新陣代謝が止まれば崩壊するように、帝国もその多用な概念や人を流動させつつ「ローマ人」という意識は常にあるという状態が止まったときに、内側から自壊した。
異民族侵入の排除の失敗や高官たちの服飾へ多額の財政が注ぎ込まれるという汚職など、複数の要因が絡まって、人々の不満をどうにか逸らす必要が出てくると「分かりやすい敵」を設定するようになる。
それは「(純粋な)ローマ人」かそうでないか、このときはゲルマン人が対象であった。

・ゲルマン民族の大移動と言っても、難民が川を渡って来たというものであって、当初は領域内地の人々を押しやるほどのものとは言い難かった。
彼ら難民の取り扱いの不遇さが彼らの反発を招き、結果的に「外側の異民族」が団結してしまったことが混乱を大きくしていった。

 

 とくに面白いのは、帝国領域内の多種多様な民族も、「ローマ人である」という意識を持てたことで、その意識が誇りのような価値を持ち、帝国存続に貢献していたという指摘だ。
逆に言えば、その意識を万人が持ち続けられなくなったときに帝国は内側から崩壊していった、という衰亡史の観点がこの本のハイライトだろう。
帝国内部への異民族の流入自体は絶えず発生していたことであり、ゲルマン人が一時大量に国境沿いに迫ってきたからといって、崩壊の大きな原因になったとはいえない。
今までのストーリー認識が変わる内容だ…。

 余裕がなくなること、硬直化することで、異なる対象を排斥しようとする動きが強くなり、かえって弱体化するというのは、もしかしたら現代でも身につまされる話、といえるのかもしれない。

 読み終えて、やっぱり固有名詞は覚えられないし、ローマ皇帝の家系の話は頭に入らないし、歴史読むのが向いていないのかもしれない…。
歴史に対して自信になったか、ならなかったかよく分からない読書体験になってしまった…。
めげすに、他の本も読んでみよう。

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