再び福島へ
RCの災害支援活動で9月に続いて再び会員5名が福島を訪れた。
今回は南相馬市へ1.5トンのリフト付きアルミバントラックを寄贈し、その贈呈式に市役所
に赴いた。
仙台空港で台湾三重北RCの会員4名と合流し、JR常磐線が震災以後まだ南相馬市まで
開通していないので、レンタカーで国道6号線を南下した。
原町のホテルで今回の活動にご協力を頂いた地元南相馬や喜多方RC会員の歓迎を受け、
親交を深めた。
翌日朝9時から市役所での贈呈式。桜井市長に目録を渡し、感謝状を頂いた。寄贈したトラ
ックは学校給食に使用されるもので、現地の子供たちの役に立ってくれることは大変喜ばし
い事である。地元報道社も取材に来ており、その記事が翌日の新聞に報道されたようだ。
その後、現地RC会員に用意して頂いたバスに乗り被災地を見学させてもらった。
市役所から国道6号線を10分も南下すると警官がバリケードを築き通行止めになっていた。
そこから南は福島原発から20Km圏内になるのである。放射能汚染が現実のものと感じた。
海岸に向うとマスコミで見慣れた大津波の爪跡を目の当りに眺められ、破壊力の大きさに
言葉も出ない。瓦礫はほぼ取り除かれ、更地になっていたが、地盤沈下した所には海水が
淀み、夏に生い茂った雑草も今は枯れて一面の荒野である。その中に所々残された建物の
基礎や流れ着いた舟、ぐちゃぐちゃになった車、そして積上げられた瓦礫の山が目に飛び込
んでくる。
被害にあった東北電力の火力発電所近くの浜辺は、市民憩いのキャンプ場やサーフィンの
名所であったらしいが、砂浜が消え、脱衣場や防波堤は壊れ、生い茂っていた松林は1本
残らずなくなっていた。
海岸からかなり離れた野球場も観覧席にいた人は助かったが、グランドの人は流されたら
しい。僅かな違いで人生を分ける自然の脅威には、人の存在が如何に小さいものだと言う
ことが思い知らされる。
あらためて被災された方々に対し、心からお悔やみとお見舞いを申し上げます。
南相馬市は今避難されている方もあり、約半分の人口になっているらしい。一刻も早く故郷
が回復し、幸せな人生が再びおくれることを心から祈っています。
そのためにまだまだ支援が必要であり、我々も手を貸してゆかなければならないとつくづく
思って福島をあとにした。