社員ブログ

11年前の話

 11年前の今日の朝、私は実家(京都市山科区)の家から神戸に向かって出発しました。当時、神戸で学生をしていまして、大学の近くにワンルームマンションを借りていました。たまたま実家に帰っていまして、1月17日の朝に神戸に向かうことになっていました。
 山科駅に着くと大勢の人だかりが出来ていて、何かと思うと電車が前線でストップしているということでした。私は駅員さんに馬鹿な質問をしました。「何時ごろ復旧するのですか」と。
駅員さんの回答としては、復旧の見通しはたっていないとの事でした。
私は神戸に行くことを断念し実家に戻り、テレビをつけました。
そこでやっと今起こっている大惨事を目の当たりにしました。後にその大惨事は「阪神・淡路大震災」と名付けられました。
 テレビで見ると、見慣れている神戸の風景が一変していました。まるで戦争で大空襲にあったような状態でした。私には神戸にたくさんの友人・知人がいますが、誰一人として電話は繋がらない状態でした。
神戸に向かおうにも、行く手段が無い。
10日程度たってから、レンタカーを借りて神戸のワンルームマンションへ片道6時間掛けて行くことが出来ました。
 
 自分のワンルームマンションの玄関のドアを開けて愕然としました。比較的揺れの少なかった地域だと聞いていましたが、予想以上にものが落ちたり、壊れたりしている。ガラスも散乱しており、靴を脱ぐことも無く、土足のまま奥の部屋まで入っていき掃除だけして帰ってきました。
私の友人も大勢、神戸で被災していましたが、皆実家へ何らかの手段で帰っていました。ようやく連絡の取れる有人も増えだして、どうやら皆無事のようでした。
 
 それからは、連絡の取れない友人の家を訪ねたりしましたが、本人は無事でしたが、家が全壊していたりと、悲惨な状況でした。道中の神戸周辺の町の悲惨な状況は今でも目に焼きついています。知人の中では大学のゼミの先生が亡くなられました。家の一階で寝ておられて、家が全壊し、ご夫婦で即死されていたそうです。
 今でも震災の事を記事で読んだりし、ご家族などを亡くされた方のことを思うと涙が出てきます。本当に悲しい出来事でした。
 現在に至っては、耐震強度偽装の問題なんかもニュースになっています。
あの大震災という神戸の方々の経験が生かされているのか、疑問に思います。震災を他人事のように捉えているのでしょうか。私も少しだけ被災しましたが、私でさえあの出来事を忘れかかっています。もう一度思い出し、日々の防災等に心掛ける必要があると思います。1月17日というのはそういう日にします。

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