注意書きですが。
僕の家の前には桜の木があります。
今日、出勤する時に、桜がきれいに咲いているのを見て、春が来たなと実感しました。今年の京都の桜は開花が少し遅いですけど、その遅さがまた良い具合に僕の気持を満足させてくれています。
桜の花がこのように、きれいな姿を見せるのは数週間です。今年の桜が散れば、また来年まで、おあづけ。それが、桜の醍醐味であり、人々に愛される理由なのではないかなと思います。もし、桜が一年中見れるなら、桜に対する人々の思いも違ったのではないでしょうか。
花が咲いていない、桜の木の写真を撮る人は、なかなかいません。また、その木を見て、お酒を飲んだり、食事をしたりする人もいません。
花がある時には相手をしてもらえます。しかし、散ればもう興味なし。桜の木は一年のうちのほとんどがその準備の時間です。
僕の人生においても、今は準備の時間だと思います。ただ、僕と桜と違うことがあります。それは、僕は準備中でも相手をしてくれる人がたくさんいる、ということです。
そんな人たちの思いにも応えるためにも、いつかは立派に咲き誇れるように一日、一日を過ごしていきます。
そして、散り際にこそ、本当の美しさが出るような男になります。
と調子の良いことを書いてしまったのですが。
ひとつ断っておきます。
僕に至っては、まだまだ、咲きませんので御了承くださいませ。
末永くよろしくお願いします。
散り際にこそ、本当の美しさが出るような男になります。・・・・・これはあまりにも早すぎる一文ですので、せめて5年後にしましょう。