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古本市はトレージャーハントみたいなもの。

昨日は文化の日。惰眠を貪って文化的なぞ縁遠い生活を送りそうになるところに、一通のメッセージが届く。
知り合いの方から、今百万遍の知恩寺にて古本市が開催されているとの情報を聞き、早速足を運ぼうという次第であった。これで、少しは文化人となれる兆しが見えてきた。
そんな仰々しいこと考える以前に、洗濯ものをどうにかするなどやることはたくさんあった。暇だが、暇じゃない。
ちなみに、洗濯機を回す前には排水溝を確認する癖がついてきた。
(理由は前回『沈没してたの僕の部屋です。』を参照)

家事も一通り終わって、いざ百万遍へ。京都大学の近くということもあってか、学生の通りが多い。
しばらく歩くと知恩寺が見てきた。結構な人だかり。しかし、程よく賑わっているというような印象だった。幅広い年代層の方々が知恩寺の門をくぐっていく。
門の向こう側には、真ん中の道を分けて左右にしっかりとそれぞれの本屋がテントを張って各々の本を展示していた。
たくさんの本に囲まれるのが好きだ。図書館や大型の本屋とは違う、古本市のこの雰囲気は、一種のお祭り感があって尚のこと好きだ。特別な気がする。

寺の縁側に全集が詰まれていたり、いつ手に入ったのか分からないような資料集や古文書の束も含め、ただの本以外も立ち並ぶ。
それぞれがそれぞれの興味の赴くままに手に取って、じっくりと眺めている。その光景だけでもワクワクさせる。
人が本を読む姿勢は真剣そのもので、それぞれの世界に没頭している。それがなんだか尊い気がするのである。

ぐるっと回って、自分は戦利品を三冊手に入れることができた。
どれも学生時代に手に取ったことがある本で、最後まで読めなかった作品にここで出会ったのは何らかの縁がある気がしたのだ。
すっかり夕方になって、それでも古本市の賑わいはやむことを知らない。
名残り惜しい気持ちとともに、満足した心地で家路に就いた。

3冊の本は割と重く、片さげカバンでなくてリュックでこればよかったと後悔したのは会場を出てすぐだった。
これが、歴史の重み…なのか…(違う)。

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