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嬉しいことを「嬉しい」と言うために。(小説『アーモンド』より)

脳の下の方に偏桃体と呼ばれる箇所がある。ここは、アーモンドの形に似ていることから扁桃(=アーモンド)と呼ばれれている。
そこがこの本のタイトルに繋がっている。
この神経細胞は感情を司っている箇所といわれている。

主人公の少年ユンジェは、生まれつき「アーモンド」が小さく、そのことで彼の母親から「普通」の生活ができないのではと心配される。他方で彼の祖母は、彼自身を「私のかわいい怪物」と抱きしめる。
かたちは色々だが、ユンジェは二人から愛されて育てられていく。
しかし、彼はある日の事件を境に、彼を守る二人がいなくなってしまい、一人で彼の生きる世界に巻き込まれていくことになる。

描写が映像的で読みやすいのが特徴だと思う。ユンジェの視点からの描写は淡々としていて、とてもイメージしやすい。
作者が映画評論や演出を手掛けているのも相まっているのかと思われるが、「感情をうまく汲み取れない、表出できない」ユンジェの視点だからこそ、この描写が活きてくるのではないかと思う。

人々の身の回りで起きる出来事はシンプルで、しかし数が多い。実際はそれらに一つずつ反応していたらきりがない。
人は共感が大事とは言うけれど、「うまく」共感できる人は少ないのだ。
ユンジェは、人が泣くことや笑うこと、他人を嘲ることや貶めることに対して素直に疑問を持つ。
皆がそうするからそうするのだ、とはならない。
感情は良き友人だが、湧き上がる感情に無自覚無批判になることは害悪でしかない。
この害悪は、感情に乏しいユンジェ少年を通じてあらわにされ、自分たちのものの見方が感情によっていかに歪められうるかということに気付かされる。

ユンジェと対象的な少年のゴニは感受性が豊かで、それを表現する術を知らないがゆえにたくさん傷ついてしまう。
彼らが自分たちを見つめるために互いを必要とする展開は、彼らの純粋さがひかり、胸が熱くなる。

力強くて優しいユンジェの祖母の言う「怪物」が、愛しい存在になりうるのかどうか、私たちが試されているのかもしれない。

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